広島高等裁判所 昭和32年(う)486号 判決 1959年7月16日
被告人 村井繁夫こと李冠鎬 外一名
主文
原判決中被告人両名に関する部分を被告人李冠鎬の無罪部分を除き破棄する。
被告人両名を各懲役一年六月に処する。
但し被告人両名に対し本裁判確定の日よりいずれも四年間右刑の執行を猶予する。
押収物件中世帯主金沢勝一名義の寄留簿謄本(証第三号)、村井繁夫を戸主とした戸籍原本(証第一号)は被告人両名より没収する。
被告人繩手泰雄より金五、〇〇〇円を追徴する。
検察官の被告人李冠鎬に対する控訴を棄却する。
理由
検察官の論旨について。
刑法第一五七条第一項に所謂権利、義務に関する公正証書とは、公務員がその職務を以て作成する権利義務の得喪変更それ自体を証すべき文書をいう。そこで住民票が叙上の意味における公正証書に該当するかどうかについて判断する。住民登録法は市町村においてその住民を登録することによつて住民の居住関係を公証することを目的とするものであり(第一条)、市町村は住民登録に関する事務を処理し(第二条)世帯主を単位として住民票を作成し(第三条)、住民の氏名、出生の年月日、男女の別、世帯主並に世帯主でない者の続柄、戸籍の表示、住所、これを定めた年月日等がその記載事項とされている(第四条)。しかし右住民票の記載は住民の居住関係を公証して住民の日常生活の利便を図るとともに、人口の状況を明らかにし、各種行政事務の適正で簡易な処理に資する目的でなされるものであつて(第一条)、住民の公法上の権利義務の得喪変更自体を証すべき性質のものではない。所論指摘の公職選挙法を例にとれば、選挙権、被選挙権は憲法並に公職選挙法によつて与えられ、その資格、要件等については各種選挙管理委員会が独自の立場より調査判断すべきものであり、地方自治法によれば住民たることによつて各種の権利が与えられているが、その権利は憲法並に地方自治法の規定によつて取得するのであつて、住民票の記載はその権利を行使する前提となる居住関係を公証するにとどまる。所論の学校教育法、地方税法等における関係も同様である。戸籍との関係において住民登録法は比較的詳細な規定を設け、戸籍と住民票の記載に誤りないことを期してはいるが、身分関係を公証するのは戸籍であつて、住民票の記載はかかる目的性質を有するものではない。これを要するに住民票は権利義務の得喪変更と重要密接な関係を有する居住関係を公証する文書ではあるが権利義務の得喪変更それ自体を公証すべき文書ではないから刑法第一五七条第一項に所謂権利、義務に関する公正証書ということはできない。(当裁判所昭和三四年二月一三日言渡同三二年(う)第四九一号事件判決参照)もつとも以上のように解する公務員に対し虚偽の申立をして住民票の原本に不実の記載を為さしめても罪とならないこととなり住民登録法第三二条との関係において刑罰の均衡を失し、不合理であると考えられるが立法の不備であつてやむを得ないものというほかはない。叙上と同一趣旨の原判決は相当であつて論旨は理由がない。
弁護人角田俊次郎の論旨について。
所論は原審の量刑不当を主張するにある。そこで所論に基き記録を調査し、原審の科刑の当否を判断する。
被告人繩手泰雄の原判示犯行の態様、回数、罪質、殊に原判示第二事実のとおり賄賂を要求して現金五、〇〇〇円を収受したほか、原審相被告人金相出、当審相被告人李冠鎬より酒食の饗応、物品の供与を受けている事実その他の諸事情を考慮すれば全く所論のように文書の真正に対する公共の信用を阻害し、公務員の職務の廉潔性を害したものであつて情状軽しというわけにはいかない。しかし原判示第一、第四の犯行は主として相被告人李冠鎬の執拗な要求を拒絶し難くしてなされたものであり、原判示第四の犯行につき広島市としても間もなく不正を発見したが、偽造にかかる戸籍の謄本、抄本等を交付した形跡はなく、その意味では戸籍を偽造したが実害はなかつたので市としても被告人の前途、家庭事情等に同情して不問に付し、懲戒免職とすべきを昭和二七年一二月五日付を以て依願退職とした事実、被告人はその後昭和二九年二月広島市消防吏員となつたが本件について警察で取調を受けるに及んで辞職し相当の制裁は受けており、改悛の情も認められるし不正が発覚した後約四年を経て起訴されておる事実、その間の生活態度、前科のない事実その他諸般の事情を参酌すれば刑の執行を猶予し、更生の機会を与えるが相当であると思われる。
論旨は理由がある。
弁護人伊藤仁、同原田香留夫の論旨について。
所論はいずれも原審の量刑不当を主張するものであるから各所論に鑑み記録を調査し、原審の科刑の当否を検討する。
被告人李冠鎬がわが国の国籍を有しないのにかかわらず原判示第四のとおり日本人村井繁夫としての戸籍を偽造したこと、原審相被告人金相出のため原判示第一の犯行をなし、それについて原判示第三のように相被告人繩手の収賄を幇助したほか、金相出に対し日本人としての戸籍を偽造してやるといい金相出と相被告人繩手泰雄との間に介在し、金相出より前記五、〇〇〇円のほか二〇、〇〇〇円を受取り、同人に対してはこれを相被告人繩手泰雄に渡したこととしてその約半分を以て自己のものとして繩手に酒食の饗応、物品の供与をなし、その余は自己の飲酒費に消費し、殊に相被告人繩手泰雄に対しては思慮の定らない相被告人を利慾を以て誘い執拗に要請して原判示第一、第四の犯行をなさしめ以てその一生を誤らせた事実、被告人自身日本人でなく、外国人登録法による登録を受けておりながら日本人の養子になつたか又はなつたものと信じていたと強弁し、必らずしも反省の色が認められるということはできないけれども、原判示第四の犯行は子女の入学、結婚、就職等につき不利益な立場に置かれることを苦慮し、帰化によりわが国の国籍を取得することの困難のゆえに端的に戸籍を偽造したものでその心情を察せば同情の余地はある。尚原判示第一の犯行も同じ立場にある原審相被告人金相出に同情した上でのこととも認められ、これと相被告人との刑の均衡、本件が発覚後約四年を経て起訴されている事実その他諸般の事情を考量すれば被告人李冠鎬に対しても刑の執行を猶予し、更生の機会を与えるのが相当であると考えられる。論旨は理由がある。
以上のとおりであつて検察官の控訴は理由がないから刑事訴訟法第三九六条に則りこれを棄却し、被告人両名の控訴はいずれもその理由があるので同法第三九七条第三八一条に則り原判決中右両名に関する部分を被告人李冠鎬の無罪部分を除いて破棄し、同法第四〇〇条但書に従い次のとおり自判する。
原審の認定してた事実を法律に照すと、被告人両名の原判示第一、第四の各有印公文書偽造の点は各刑法第六〇条第一五五条第一項に、同各行使の点は各同法第六〇条第一五八条第一項に、原判示第二の被告人繩手泰雄の加重収賄の点は同法第一九七条の三第二項に、同第三の被告人李冠鎬の同幇助の点は同法第一九七条の三第二項、第六二条第一項に各該当し、有印公文書偽造と同行使は手段結果の関係にあるので同法第五四条第一項後段第一〇条を適用し被告人李冠鎬の原判示第三の罪につき同法第六三条第六八条第三号により法定の減軽をなし、叙上被告人の各所為は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条第一四条により被告人繩手泰雄については加重収賄罪、被告人李冠鎬については重いと認める原判示第四の有印公文書偽造罪につき定めた刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人両名を各懲役一年六月に処し、同法第二五条を各適用していずれも四年間右刑の執行を猶予し、押収物件中証第三号は原判示第一の偽造公文書行使罪又証第一号は原判示第四の偽造公文書行使罪の各組成物であるから同法第一九条第一項第一号第二項を適用して没収の上被告人繩手泰雄の収受した原判示第二の賄賂は既に費消し、没収できないから同法第一九七条の四後段によりその価額を追徴すべきものとして主文のとおり判決する。
(裁判官 柴原八一 林歓一 牛尾守三)